konomad editions No°003
Tomihiro Kono:
PERSONAS 111 - The Art of Wig Making 2017-2020



International distributor: coming soon

Book Design: konomad
Publisher: konomad editions
ISBN 9780998620527

Hairstyles are closely related to our identity; They create both our inner and outer self. This can reflect our personality or, in some way, can hide our true self. We can suddenly make ourselves look like a different person by wearing a wig. Wig is a kind of mask, designed on the one hand to make a definite impression upon others, and on the other to conceal the true nature of the individual. Changing how we look is an act of self-reflection, self-assertion, and self-defense.  We live in the spirals of the world by defining ourselves, and being defined by the others. Tomihiro Kono finds the diverse possibilities of instant transformations with wigs.

176 p, ills Full colour, 14.8cm x 21 cm, pb, English

konomad editions No.003



The thrill of transformation is universal — never more so than now, as the longstanding barriers around gender soften. But so is the reluctance to change. In that way, the book functions like a handheld companion to Kono’s real-life installations, where visitors can try on his hand-knotted wigs and catch a frisson of an alter-ego. If the chameleonic nature of Personas has a gravitational pull—each otherworldly photo anchoring us to the page—its spirit of wild possibility sparks a new lightness of being.

- Laura Regensdorf Beauty Director, Vanity Fair & Contributing Editor, Vogue
In Latin times a persona was a mask; today our digital masks have turned into persons that amplify our individual digital essence, letting our fake and intangible identities take over. Tomihiro Kono's wigs are a reaction to our digital society and a way to reclaim our physicality: with his creations the artist and designer invites us indeed to go over a physical, rather than digital, transformation. A wig by Tomihiro Kono is therefore a “mask-thrix” – a mask for the hair (“thrix” meaning “hair” in Greek), a symbol of an existential drama and the possibility of taking up not just one role, but multiple ones. By wearing a wig by Tomihiro Kono you can be anything and anyone but yourself. The promise is alluring. Enter the Mask-Thrix.

- Anna Battista
Using human hair as a material for sculpture, wigmaker Tomihiro Kono has culminated his meticulous artworks into a beautiful book photographed and designed by Sayaka Maruyama, titled “Personas 111.” Model Cameron Lee Phan’s androgynous visage acts as a perfect tabula rasa, encapsulating the ways in which our hair can dictate identity. Cindy Shermanesque moments pepper the second half of the book, where wigs and makeup form into personalities that remind us of Liquid Sky, David Bowie, Marie Antoinette and any other pastel style icon you could imagine. Although we usually don’t judge a book by it’s cover, we think it’s safe to say with this one you can.

- Lulu Gioiello, Founder,Editor-in-chief, FAR-NEAR
[寄稿文] by a Japanese independent artist: Bunta Shimizu

新しい世界

僕は、原宿のとんちゃん通りを抜けた先にある、存在感の薄い2F(いい意味で)古着屋に向かっていた。理由は、偶然そのお店のSNSで河野さんのウィッグが販売されていることを知ったから。 正直その時はそこまで心躍る気持ちでお店に行ったわけでもなかったんだ。ほんの少しだけ、怖いもの見たさもあって見に行った。

僕の頭に最後に髪の毛が乗っかっていたのは6年以上も前。 ずっと坊主で、現在も坊主でいる理由が「髪がすぐ乾くから」だなんて、どこか郊外の町の青年のような思想は決して面では言えない。こんな風に文字以外では。笑

でも、昔は髪の毛に興味がないわけでもなかった。 学生時代に美容室のカットモデルをしていて、マッシュカットにしたり、はたまたツーブロックにしてみたり。 でも、だんだん短髪になっていき、坊主になった。

だんだん短くなっていった理由がもう一つ存在する。 それは、いわゆる「女々しさ」からの脱却だった。

当時、僕は本当に細くて、レディースの服やドレスを着ていたから、皆から「男か女かわからない」「女っぽい」と言われ続けていた。僕のセクシャリティにそういう要素があるわけではなかったし、僕自身のジェンダーは男だ。 だから、その言葉を昔の僕は受け入れることができなかった。ジェンダーレスという言葉に若干の嫌悪感を覚えた。

その状況をどう変えるか、と考えた時「ああ髪を切ろう」となんとなく思った。それが坊主の始まり。

そうしたら、見事にそんなことは言われなくなって、僕は「男性」として衣服を身につけられるようになった実感があったのだけれど、それはそれで何か違和感があった。

その理由が、あのビルの階段を登った後に判明するとは思ってもみなかったのだ。

扉を開くと、見た事のない景色が広がっていた。

舞台『アリー』のような、赤橙のボンバーヘア、横を見ればとんでもないサイズのカラフルリーゼントなどなど、本当に沢山の髪の毛が店内をジャックしていたのだ。

OTOEのボタニカルケミカル(と呼んでいいのかな?)な感覚を加速させるものになっていて、かなりの興奮を覚えている。 そして、レジにいつものスタッフさんとは違う方が立っていた。

FANCY WIG を作っている河野富広さんだった。 彼が、僕に似合うウィッグを見繕ってもらい、被ってみた。

そうしたら、某白い粉(僕は一切やった事がないけれど)なんかよりぶっ飛べるんじゃないかってくらい、どこかにトリップした。 どこか、懐かしいような、ちょっとだけ甘酸っぱいような、、、

学生時代の髪の毛がまだのっかていた頃の自分と対峙したような気分に一番近かったかもしれない。

話が少しずれるが、僕はこの執筆依頼が来た時、断ろうか悩んでいた。 彼との相談の中で、「ジェンダー」という言葉が出たから。 理由は、日本では多様性というものが商業的パワーワードとして扱われ、僕自身がそのアイコンとして扱われかねない状況になりかけたこともあるからだ。 とても馬鹿げているし、日本の政治はそれとは逆行に突き進んでいる。 男性らしさ、女性らしさというものに関して、僕はまだその意識が昔からの教育されていたから冒頭のような感情に僕は陥ったのだろうから、向いていないだろう、とも思った。 (僕は見た目も派手だし、はっきりとした場所に属しているわけでもない、そして仕事も様々なことをやっているから) それに、僕は良い子ではないし、大人の思惑に乗っかるつもりもない。ただ、この依頼をしてくれた河野さんが新しい世界を見せてくれたのなら、お返ししようと思った以外に他ない。そして、彼は純粋にFANCY WIGを広め、人を解放し、広まって欲しいという、綿菓子のようなピュアな気持ちも見えたから。(僕の知らない一面が存在するのかもしれないけど。笑)

店を出る前に、その場で買った、ひよこのような黄色モヒカンウィッグを身につけて、扉を開けた。 ほんの少しだけウキウキしながら、新しい世界へ飛び出す。

そこには、いつもとほんのちょっと違う景色が広がっていた。 いつもと同じ舗装道路で、いつもと同じ信号を渡っているのに、ほんの少しだけ、違うんだ。

それは、周りが変わったんじゃなくて、僕が変わったんだ。
また、新しい髪の毛を手に入れたら、また、僕の世界は広がるかな。

人生って楽しい、自由な世界。

清水文太 @bunta.r

プロフィール

スタイリストとして、19歳から水曜日のカンパネラのツアー衣装や、芸能人、テレビ・企業広告のスタイリング、Benettonをはじめとしたブランドのアートディレクションを手掛ける。コラムニストとして雑誌「装苑」の連載などに寄稿。11/20にアルバム「僕の半年間」を発売。RedbullMusicFesでのDJ・ライブ出演など、アーティスト・スタイリスト・アートディレクターとして多岐にわたる活躍を見せている。
[寄稿文] by a Japanese independent writer: Ayae Takise

Observing images through Tomi-san’s digital channels and experiencing in person is far apart – WIG, WIG, WIG, WIG, WIG, existing above your eye level, every one of them claiming their ideologies as if they have lived a certain period or scene. Wearing these creatures let me relive a different life for moments in a surrealistic manner, undefining boundaries of the living body and object with a persona.

Receiving a copy of “PERSONAS 111”, countlessly going back and forth pages gazing at the dreamy colors and forms full of lavishing freedom, all worn by androgynous Cameron. I just wanted to feel the euphoria again and again led from the flooding whirl of era, universe, and individualities. Aside from his creation, what also intrigues me is his wide variety of inspirational sources introduced on his Instagram. Not only from hairstyles of iconic humans and characters in various medium including films and manga – the psychedelic sets from an Indian film, transparent marine species, bees and even carnivorous plants! Tomi-san’s creation may be apparently punk and avant-garde, but essentially, it is a result of pure curiosity. “PERSONAS 111” is a playlist of answer songs to his cultural lineage, as well as hymnals ringing to the world.

Almost being a creature itself, Tomi-san’s wigs are the ideal guides to dream alien individualities. By wearing numerous “others”, live moments you could have not experienced by yourself, discovering unknown selves and encountering an inalterable “me” at the end. The wigs are a tool to know one’s self, simultaneously a reminder to hold empathy to others. After wearing the wigs and passing through people in the streets, I daydreamed I could have lived each persons’ hair, make-ups, clothes, shoes, etc. Talking of “gender” (which I don’t want to discuss as an issue of the spectrum between male/female, but let’s just go through since it is written in the book “wig for all gender and age”) Cameron’s eyes, the line running between his cheeks and hair, the nuance at the tip embodies the abundant beauty of complexity which every human being essentially holds. Naming, categorizing is senseless when Tomi-san’s wig extracts the bright reality of existence. You just have to embrace it as it is. PERSONAS WIGS vibrantly arise the boundaries between me and the world, letting me go further and synchronize with them. Keep transforming!

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とみさんのウィッグを実際に目にしたのは2019年の「rooms EXPERIENCE 38」とヴィンテージショップOTOEのポップアップでのことでした。以前からSNSやウェブサイトで拝見していたものの、いざ目線斜め上にぷかぷかと浮かぶWIG、WIG、WIG、WIG、WIG。「わたしをかぶって」と言わんばかりに無口のままイデオロギーを発するウィッグたちは、そう多くを経ていないはずなのに、それぞれが過ごしてきた(かもしれない)時代や場所を匂わせてくれる生命体のよう。生命(私)が生命?(ウィッグ)を身につけることで別の人生をつかの間追体験した気持ちに。身体とモノ、自分と他者の境界が曖昧になる不思議な経験でした。

それから半年ほど、「PERSONAS 111」をいただいて数日。ドリーミーな色彩と自由自在な造形のウィッグを身につけるアンドロジナスなCameronを眺めては、瞬間ごとに味わうふわふわとした高揚感に再び触れたくてページを行ったり来たり、何周したか分かりません。そのたびに時代・世界・他者・私のめくるめく洪水に飲まれていく感覚になるのです。 まず驚くのが、instagramでも紹介されているインスピレーションソースの縦横無尽っぷり。各時代の表現者たち、映画やアニメの登場人物の髪型はもとより、ニンゲンを超えてインドのサイケな映画の美術セットの色彩、パステルカラーの海洋生物、ミツバチ、食虫植物(!)まで。クリエーションの表層だけさらうとパンクでエッジィなのは間違いないけど、それ以上にこのウィッグから燦々と発せられているのは、世界に向かってピュアに輝く好奇心。今作はとみさん自身がともに育ったカルチャーの系譜に対する返歌であると同時に、世界への賛美歌でもあるのかもしれません。

トランスフォーメーションを繰り返し新しい自分になるプロセスで、人は「他者」を知りそれを「私化」する。だからそれ自体が生命体のようなとみさんのウィッグたちは、代わる代わるそれぞれの夢を見させてくれる恰好の案内人です。たくさんの「他者」をかぶった結果、自分ひとりでは歩みえなかった時間を辿り、それまで知らなかったたくさんの「私」と出会う先で引き出される不変の「私」の芯。そうして自分のアイデンティティをくるくると確認しながら、他者へエンパシーを持つことも忘れさせない。もともと自分を取り囲む人や環境に影響を受けやすい私はウィッグをかぶった帰り道、いつの間にか道行く人の髪型を観察しては「私はこの人であれたかもしれない、とするとこんな歩き方や化粧をしてたのかな」と妄想したことを思い出します。

Wig for all gender and agesとあるし、生物上は男性であるモデルを…と書き始めた一方で、男女の二項対立の間のグラデーションの問題として語ることに虚しさを覚えてる自分がいることに気づきました。その前提で書かせていただくと、Cameronの瞳、頬骨と髪の境界線、鎖骨にかかる毛先のニュアンスには男の美しさと女の美しさ両方が宿ってる。いや、性別を引き合いに出すことすら違和感があるほど豊かな複雑性を帯びてて、とにかく中毒性が高い。こんなに紙面に印刷された人間を見つめ返したことあったっけ?普段から存在感たっぷりなCameronに限らず、とみさんのウィッグにはそうやって誰もが本来持ってる「わりきれなさ」を濃厚抽出させる、つまり名前をつけることの必要性より目の前に存在する事実の強度が勝る状態を引き出す力があると思います。私はそれに惹かれっぱなしです。

名前や見た目、時代のあいだを軽やかにスキップしてまわれるくらいがちょうどいい。外側に存在する世界との境界を鮮やかに浮かび上がらせては一歩近づくチャンスをくれ、他者と循環させてくれるのがPERSONAS WIGS。限界を知らない美しい「私」たちが世界中にあふれますように。Keep transforming!

瀧瀬彩恵 @ayaetakise
[寄稿文] by a Japanese independent artist: Kotetsu Nakazato

僕はドラァグクイーンになりたい。”女装”して派手なメイクと服で口パクを披露したいわけ ではなく(もちろんそれもしたいけど。)、性別や人種、年齢といったカテゴライズを跳ね 除け、自分自身を無限に表現したいのだ。自分のことを男性と思うのを止めたのは1年程前 のこと。それまでは男性と自認していたが、そこにフィット感を覚えていたわけではなかっ たし、正直「色んな面で楽だから選択していた」といったところだろう。自分の本質を見つ めることは簡単ではないし、既存の枠組みから離れようとするとこれもまたストレスが多い ものだ。まあ僕にとっては矛盾を感じながら生きることの方がよっぽど面倒くさいと思い、 男性という1つのアイデンティティーを捨てた。きっと元々僕のものではなかったから、男 性という肩書きを借りていた期間のことについては感謝しているつもりだ。

そこから髪を伸ばしたり、メイクを本格的に始めたりした。そうすると初めて会う人に 「男?女?」「どこかとのハーフ?」とやたらと聞かれるようになった。人は曖昧なものに ほど警戒心を抱くのか、それらの問いは僕を当たり前のように振り分けられていたカテゴリ ーから解き放ってくれるようだったから、一概に嫌だったとは思わない。ただ男でも女でも ないこと、生まれたのは日本だけれど自分を日本人だとも何人だとも感じていないことを伝 えると大抵相手は困惑する。そんな中で僕は誕生日前夜に髪をまた短くした。髪を伸ばそう と、短くしようと、僕自身の性別や人種、セクシュアリティが変わるわけではないのだか ら、今自分がしたいスタイルを取り入れようとふと思ったのだ。まあそれによって周りから の認識は「中性的でアンニュイな人」から「アジア人の男性」へと変わったのだけど。

そんな時にトミーさん(河野富広)からPERSONAS 111’を出版する話と共に執筆のお話を いただいた。ここにはたった1人のモデルが111種のウィッグを被った写真が沈黙の訴えと 共に並んでいる。モデルの顔立ちも関係しているのだろうけど、ありとあらゆるカテゴライ ズが跳ね除けられ、111種の可能性を提示した。そしてこの可能性は僕にとっての居場所に すら感じたんだ。

同時に「まさにドラァグだ」とすぐさま僕は思った。(トミーさん曰く、ドラァグクイーン のウィッグとは作り方が違うらしいが、僕が感じたのはそこではない。)自分自身を問い、 理解し、ヘアーやメイクやファッションの力で本当の自分を表現するのがドラァグ。つまり ドラァグをするのに性別も人種も年齢も、あらゆるバックボーンによる制限は無いのだ。既 存のドラァグのほとんどはショーや少々過激なアートとして用いられることが多いが、トミ ーさんのウィッグはそれらよりも日常の暮らしに沿えるカジュアルさとストリートなバイブ スが備わっているから、きっと多くの人が自分自身の本質を見つめ、ドラァグという価値観 を体験し、我がままに生きるきっかけになるだろう。僕はトミーさんのウィッグに対してそ んな希望を感じている。僕もいつか「アジア人の男性」といったカテゴライズから解かれ、 自分自身を生きることを自他共に認める日が来るだろう。そのときに僕は真のドラァグクイ ーンとなる。

@kotetsunakazato